松阪牛の長太屋

三重県の松阪牛通販専門店
長太屋の松阪牛は自家牧場で育てています。

  1. 松阪牛の長太屋
  2. 松阪牛とは

松阪牛とは

全国の優秀な血統の子牛を、三重県中勢部を流れる雲出川から宮川にかけての地域で肥育した未経産(処女牛)の黒毛和種の雌牛であって、個体証明書を有し、照合が可能な牛を『松阪牛』と呼んでいます。
松阪牛は、優れた資質、行き届いた飼養管理によって日本一の肉牛として認められ、霜降りがきめ細かく綺麗に入っていることはもちろん肉質が柔らかく霜降りの脂肪分に甘味のある風味が特徴で、味のすばらしさは「肉の芸術品」として全国、世界から賞賛されています。

詳しくはこちらから

三重県松阪食肉公社

松阪牛の正式名称

「松阪牛」と「松坂牛」と異なって表記されていることが多々ありますが、正確には「松阪牛」です。松阪牛発祥の地である三重県松阪市と同様の「阪」の漢字を使用します。
また、「松阪牛」の読み方は「まつさかうし」になります。これは商標登録されている正式な呼び方です。

松阪牛の歴史

松阪牛は近代から日本の歴史とともに歩んできました。
長い歳月をかけて名を高め、世界に誇る「松阪牛」を築き上げました。

西暦 主な出来事
1877 山路徳三郎が肉牛の東京送りを定期的に開始。
1878 松田金兵衛が松阪に牛肉店「和田金」を開店。
1891 三重県牛馬商組合(一志郡ほか六郡)を結成。
肉牛肥育が始まり、明治中期には松阪屋地方は上質の「神戸肉」の産地となる。
1909 松阪公園で肉牛品評会が開かれ、太牛五十頭が集まる。
1911 松阪常設家畜市場が開設。
三重県畜産会(のち三重県畜産組合連合会)が発足。
1917 松阪常設家畜市場で第五回三重県畜産共進会が開かれ、五万人をこえる参観者が集まる。
1921 東京で開かれた畜産博覧会で、松田みねが唯一の女性委員として審査にあたる。
1923 第一回近畿二府五県連合畜産共進会で、松阪牛は神戸牛・近江牛と入賞をせり合う。
1927 「和田金」東京支店を開設。
松阪牛は「伊勢牛」と呼ばれて市場にその名を高め、東京方面への出荷が増加。
1935 東京芝浦で開かれた畜産博覧会で、松阪牛が最高の名誉賞を獲得。各地の共進会でも華々しい成績をおさめる。
1947 三重県家畜商組合連合会が発足。
1949 松阪家畜商組合が主催して第一回松阪肉牛共進会が開かれ、二百頭あまりの肉牛が集まる。
1958 松阪肉牛協会が東京で創設され、「松阪肉」の規定を設ける。
「松阪肉」の看板の店が全国にあらわれる。
1962 松阪競輪場で第十回近畿東海畜産品評会が開催。
1964 「和田金」直営牧場を設立。
1965 松阪肉牛共進会が松阪市・経済連との共催となる。
肉牛の若齢肥育・多頭飼育が始まるなかで、松阪牛は最高級肉牛としてのブランドを確立。
1981 松阪肉牛共進会の優秀一席の牛が初めて一千万円の大台でセリ落される。
1989 松阪肉牛共進会の優秀一席の牛に四千九百五十二万円の値がつけられる。
1999 松阪肉牛共進会の第50回記念大会として「松阪牛まつり」を松阪市中部台運動公園で開催。来場者5万人で大盛況。
2001 日本初のBSE(牛海綿状脳症)が確認され、国の家畜個体識別システムの構築が開始。
2002 肥育農家の顔が見える松阪牛を目指し、国の家畜個体識別システムの10桁耳標を活用した「松阪牛個体識別管理システム」を発表。
第53回松阪肉牛共進会において優秀賞一席に体重678kg、 体高131cm、 胸囲229cm の堂々たる「よしとよ号」が選ばれた。セリ市では 5,000万円の史上最高値でセリ落とされ、まさに日本一高い牛となる。
2003 松阪牛枝肉ネットオークション運用開始。
2004 松阪牛協議会設立。松阪牛の生産振興及び消費者への安全・安心の提供を目指し、松阪牛のブランド維持発展のための生産技術と品質の向上を目的とし、松阪牛生産者と生産区域内市町村で組織。
松阪牛まつり開催。